04.11,2022_尾道

前回からかなり時間が経ってしまったが、広島旅行の続きを書きたいと思う。

 

二日目は午前広島平和公園を訪れ、尾道に向かった。

正確には福山に向かいレンタカーを借り、禅と庭のミュージムに向かった。

 

到着してから知ったのだが、禅と庭のミュージアムへの入場に付属(どちらかというと禅と庭のミュージアムが付属)している新勝寺へも行けるということで庭園を回ったのだが、ここが本当によかった必要以上に観光地化されておらず、広い園内の中にはご年配の方々や、近く?の人と思わしきお母さんと小さな子供がゆったりと庭園を見学していた。僕もゆっくり少し早く真紅の彩りとなった紅葉を眺めながら普段生活している喧騒から逃げるように心に留めるていた。結果的に本来の目的であった禅と庭のミュージアムは空調の改修工事中ということで入ることができなかったが、それよりもいい空間体験ができた。

 

その後NAP/中村拓志のリボンチャペルを見に尾道市の常石地区へと向かった。その途中にマウントフジの初期作である造船会社の社宅があることを知り、寄り道がてら向かったのだが、少し高台から見えた景色が本当によかった、この旅行の中でも一番と言っていいほどよかった。

 

尾道は造船の町らしく港には造船のドックがあり、タワークレーンが林立し、その初めての風景ともに夕暮れ時が一層情緒的な景観を作り出していた。

そこで改めて感じたのは自分は華やかなビルの立ち並ぶ景色や、流行りの建築家が設計したかっこいい建築(これはこれで好き)よりもその地域の地形と産業が創り出す風景が一番好きなんだと、確信した。

 

その根幹には生まれ育った街が少なからず影響しているのだと思う。そういった意味では便利で時間のすぎるスピードの速い都会よりも、非常に不便だしご近所情報網は狭すぎるけど、時間の流れが緩やかで食材の美味しい田舎に生まれてよかったと思う。

 

と色々思うところがありつつ本日の宿へと車を走らせた。

f:id:atsushi-takanashi:20221211150444j:image
f:id:atsushi-takanashi:20221211150447j:image

03.11,2022_広島

かなり久しぶりになる。というのも一級建築士の試験を受けていたから、結果はまだわからないが、とりあえず解放された!という嬉しさから試験後の休日は常にどこかしらに行ってた。

 

本当は他のところも行っているのだが、なによりこの気持ちを早く言語化したいと広島の旅行について筆を走らせる。

 

11月の連休(正確には中日を有休にして)に初めて広島に訪れた。初日は羽田空港より広島空港へ向かい、そのままの足で宮島を訪れた。さすが日本三景の一つであり、このご時世ながら多くの人がいた。(立ち寄った広島市ないのお好み焼き屋さんの人が言うには、それでもまだまだ少ない。とおっしゃっていたのだが、、)

 

宮島は本州のフェリー乗り場から10分ほどの船行でいける、修学旅行の学生から若いカップル、熟年夫婦から外国人旅行者、本当にいろんな人がいた。

毎度のことながら私は1人で訪れていたためスルスルと人混みをかき分け厳島神社境内は入った。改修工事も終わりに目処が立ったようで、午前中のみ海上に浮かぶ大鳥居をくぐれるようになっていた。(訪れた時間は干潮で海に浮かんではいなかったのだが)

あまり心に響くものがなかった、寺社仏閣への知識がないこともあるだろうが、やはりあまりにも観光地がされ過ぎていた。それに壊れかけている鳥居の工事も現代の塗料が使われ、生コンが充填されと、ただの死んだものの延命ではないかと。古くより鎮座してきたものを未来に残そうとする気持ちもわかるが、物質である以上時間と共に朽ち、存在がなくなるのはしょうがないのではないかと、当時建立した人々は確かに未来永劫の存続を願ったかも知れないが、本当に同じ姿で、残るとは思えもしないだろう。

やはり煌びやかなものが朽ちていく姿にもある種の美学を感じる。人が生まれて必ず死ぬように。

人気の観光地に行くと毎度こういった葛藤を覚える。あまりにも表層的で、短絡的な消耗をしている姿に。

 

ただ宮島名物の穴子丼は美味しかった。

 

f:id:atsushi-takanashi:20221111200850j:image
f:id:atsushi-takanashi:20221111200845j:image

 

05.02,2022_那須塩原

会社の意匠設計の同期と栃木の那須塩原

ずっと行こうと言っていた石上純也設計の水庭に見学。隣接しているレストランのランチコース付きで訪問。学部生の頃の非常勤講師にランドスケープは建築より難しいと教わっていたが、やはり難しい。建築は建設した瞬間から大きく形態が変化することはないし、人を相手にするので、ある程度設計者の想定の範囲内で行為が生まれる。

しかし、ランドスケープ≒風景の構築(個人的解釈)は相手がもちろん自然相手なので、刻一刻と常に流動的に変化している。批評者(訪問者)が訪れるたびに姿、形は変化し、与える印象も固定的なものではない。そもそも感性的なものに正解はないんだろうけど、いわゆる模範解答的なものすらもランドスケープは不明瞭だなと。

だから教養として色々なランドスケープ作品も見に行くけど、本当にこれがいいのかと、毎度わからない。

今回の水庭は新緑の生い茂った写真が一般的だけど3月の雪もなく、緑が生い茂っているわけでもない、いわゆる微妙な時期だったけど、これはこれで閑静というか、わびというかが感じれてよかった。

ただビオトープの水量をコントロールしている配管が見えてしまっている(隠していたものが見えてしまっていた)という点は一般的にはがっかりとするのだろうけど、個人的にはこういう風にしてるんだっていう学びの方が多かった。

にしてもある程度の金額を払わないといけないと入れないから無駄に人もいなくて、すごくよかった。

f:id:atsushi-takanashi:20220503081511j:image

03.16,2022_東北

 

休学した大学同期と東北方面へ旅行。

研修なりにも実務を約1年見てきたおかげで、建築を見る目にも変化が出てきたのを実感。

久しぶりの遠出の旅行ってのもあるが、藤本さんのマルホンまきアートはかなり良かった。

 

f:id:atsushi-takanashi:20220316221845j:image
f:id:atsushi-takanashi:20220316221848j:imagef:id:atsushi-takanashi:20220316221933j:image

02.20,2022

かなり昔(といっても2年前?)にブログを始めようと意気込みブログを開設していたが、当たり前のように1ヶ月ほどでやめてしまった。

それから自分の考えを言葉、文字にして書きたいという欲が生まれたが、特に何もせずもやもやーと過ごしていた。そうだ、だったらブログを書けばいいじゃないか、とまた思ったので開設することになった次第です。

だからといって人様に見せるような事を意識してやるのでは、また続かなくなるので、原意である本当の日記的な使い方にしてみようと思う。

 

だから考え事、見てきたモノ、コトの吐き出しの場になると思う。

そんなブログのタイトルはどうしようかと思って数日考えた結果(結局決まったモノは数分)このブログのタイトルになった。言葉の面白さ、まちの豊かさ、日常の小さな祝祭を意識的にでも常に考えていければという期待も込めて。

 

そんな私の備忘録。

 

f:id:atsushi-takanashi:20220220151216j:image